最近神様からいただいた試練と恵みについて証をしたいと思います。(’06..29礼拝にて)

私は2004年2月に受洗し、クリスチャンとなりました。クリスチャンになってからは、毎晩寝る前に聖書を読むことを日課とし、できる限り毎週日曜日には礼拝に出席し、神様に対して感謝の祈りをするようになったりなど、以前を振り返りつつ、自分でもずいぶん変わったなあと思っていました。しかし、今から考えるとそれはほとんど表面的な部分だけのことでした。聖書を読んでもただ読むだけで、みことばについて深く考えることもせず、礼拝にいっても、出席して先生のメッセージを聞いて、いい話だなあと思うだけ、神様に対する祈りも、本当に心の底から祈っているというよりは、人の耳に喜ばしいことばを並べ立てているだけでした。神様がこうして毎日生かして、働かせてくださっているおかげでいただけている報酬も、自分が会社で苦労して働いているのだから、全部自分と家族の間で使うのは当然だ、文句はないだろうと思っていました。そのため、神様の望まれるような、毎月しっかりと「区別して」ささげるべき十分な献金もしていず、計画性もなく遣っていました。また、仕事がきつい分のはけ口という言い訳のもとに、たまには繁華街に飲みに出てうろつき、お酒に酔ったり、少々いかがわしい店に顔を出したりすることもありました。神様が目を背けたくなるような行動は、あげれば、きりがないほどです。

そんな生活を繰り返していたある日、突然神様から試練が与えられました。8ヶ月の二番目の子供が原因不明の細菌におかされ、重症と診断されて入院することになり、初日の夜中には敗血症や髄膜炎も疑われ、最悪のことも考えました。すぐに検査によってその疑いは晴れましたが、しばらくは後遺症が残るものなのか何なのかもわからず、不安がつきまといました。また、その入院中に、今度は5歳の上の子供が溶連菌に感染して、かゆみと発熱に苦しむことになりました。私自身は、といえば、この大事なときに連絡がつかないと困ってしまうというのに携帯電話を落として壊し、その影響もあって、当日おろしたばかりの大金やカード、保険証も入った大切な財布を落として不便な生活を強いられ、まぶたが重く開きにくくなるという奇病にもかかり、しまいには車をぶつけるという過酷な1ヶ月を過ごしました。私は、これらのことが起こるたびに、自分の罪から来る神様の試練がとうとう来たなと強く思うようになり、ここまで徹底的に打ちのめされると逆にすがすがしい気分にもなりながら、今までのことを心から激しく悔い改めました。自分で悪いと知りながらも続けていた神様の喜ばれないことをやめ、そして、見かけだけではなく、本気で神様のみまえにでることをどんなに主が求めておられるのかを思い知った数週間でした。

試練の最中から、人間の目から見ると大変なことが起こるたびごとに、神様の助けや癒しを同時に体験して、まさに幼い子供を叱咤激励する、思いやりにあふれる、本当にかっこいい父親像を見るような思いでいました。そう悟るたびごとに、病気もそのほかのことも、どんどん解決していき、改めて次のみことばを思い出しました。

T コリント10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたの耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

今回の経験から、先月神様からいただいた試練は、神様が小さな私たち家族のことさえ気にかけてくださっている証拠であり、その恵みをもって私たち家族のことをも神様は本気で愛して育てようとしてくださっているのだと、心の内側で理解して感謝しています。今までの私は、イエス様を信じることを通して、本物の、このような出来事すべてを起こすことのできる、力強い、愛情深い神様に向かうことができるようになったというありがたさも知らず、親に甘えすぎた子供のように、なんとなく生きていました。すべてお見通しの神様から目をそらして生きていることは、なんと怖いことでしょう。これまでは本当に気づかなかった部分と、気づかないふりをしていた部分があることも否定できませんが、

先月1ヶ月間の立て続けの出来事は、改めて首根っこをつかまれて神様の方向に向かされ、その大きさや尊さに震え上がった状態、といった感じでした。

とはいうものの、ただ恐ろしいだけの神様ではないことも存分に味わわせてくださり、たくさんの良いものを自然な形で残してくださいました。上の息子・峻輔の、母や妹と離れて過ごす寂しさや不自由さに奮闘しながらの成長。あまり気にかけていなかった下の娘・優子の離乳食も病院の食事によっていきなり中期まで進み(入院中に9ヶ月を迎え)、その上ほとんどベッドの上で思うような運動もできなかったというのに、退院後2週間ほどでハイハイまでできるようにしてくださったこと。早起きを最も苦手とする私たち家族が、毎朝祈り会に出席して神様のみまえに出たいと思うようにしてくださったこと。またそれによって生活のリズムも整い、体調も改善しつつあること。すべては人間の思惑や力では絶対に不可能なことです。

しかしながら、自分は本当に心が弱く、これだけの恵みをいただいたにもかかわらず、最大の悩みであった子供の健康の問題が解決されつつある最近、また安心しすぎて神様に対する思いがだんだん薄らいでいるように思います。このように存在をまざまざと直接見せつけられた今現在が、一生の内で本当に貴重な、神様に向かうチャンスと受け止めて日々感謝し、より深い部分で神様のご計画に沿うように、またその働きに関わって協力することができるように願い求めていきたいと思っています。

最後になってしまいましたが、ジョン先生、キム先生ご家族、千葉さんご家族をはじめ都筑教会に関わる多くの方々にご心配、お祈りをいただき、また実生活に於いても支えていただいて、お世話になりましたことを心から感謝しています。今日語られるメッセージにも期待して、主のすばらしさを思い起こしたいと思います。