カレブは違う(民数気14:24)

私は中高のときみんなと同じ制服を着て学校に通った。多くの人たちは自分と同じでなければ間違っていると思う傾向がある。最近チベットに対する中国政府の立場を支持した中国の元卓球選手は英雄になった。しかしその人がフランスのカルフールに対する中国人の不買運動を批判するとその人は一日に英雄から売国奴となってしまった。社会では同じことをしなければ空気を汚す者だというレッテルが付けられてしまう。こわいものだ。カレブは空気を読めない者だった。みんなカナアンの地に入ることは諦めた方がいいと言うのに、彼はその地は神様が用意してくださった乳と密が流れる素晴らしいところであり、神様はきっとその地を与えてくださると言った、みんな不平と不満を言いふらしているのに、彼はそうしなかった。みんなと違ったのだ。どうして彼はみんなと違うことを大胆に言えたのか。彼は自分の安全や経験より主の御心を求めていたのだ(民14:8)。彼は彼らをエジプトから救い出した全能なる神のみわざを思い起こしていたのだ。彼には神への生きた信仰があったのだ。そして神は‘カレブは違う‘と彼のことを認められ、彼はやがて彼が見た約束の地に入り、彼の子孫はその地を彼らのものとしたのだ。いくら優しい人でも、いくら肯定的な人でも、いくら強い人でも、信仰がなくては、神に喜ばれることはできません(へブル11:6)。失うことを恐れず、神のみこころを求めていきたい。みんなと違っても用意された約束の地に入りたい。主の憐れみによって主に従い通したい。永遠に残る財産はそれではないか。