従い通す(申命記1:36)


カレブはほかの人たちとは違った。

彼は主に従い通して、約束の地に導き入れられた。私も半分の心ではなく、

全身全霊で主について行きたいという願いが与えられてそれを求めた.まず主は私の

はずかしい姿を見せてくださった。私はマタイ25章の一タラントを預けられた悪い

シモベで、地獄に落ちる運命だった。

主が与えてくださった時間と財、機会を信仰をもって用いず、怠けていた。

主は私の存在自体が罪であることをもう一度強く分からせてくださった。

十字架のイエスキリスト以外にはほかに希望がない存在である。

肉の思いは神様に敵対する(ローマ8:7)。しかし福音がある。肉の思いによって

生きて来た古い自分がキリストともに十字架につけられ、

私のうちにはキリストが生きる(ガラテヤ2:20)。

私はキリストの内にあって新しい自分となったのだ(Uコリント5:17)。

新しい自分、本当の自分、オリジナルの自分は主のみことばに喜んでアーメンと応答

し、御霊の与えてくださる力によって行う者である。その真理を結論にすれば

従い通すことは他人のことでも、むずかしいことでもないのではないか。

御霊の助けによって、十字架を通ったオリジナルの自分の姿で日々歩めばよいのだ。

それでついに約束の地、主の備えの地に導き入れられる.

これこそ良い知らせではないか。