辛い過去をどうするか。


だれにも悲しいそして辛い過去がある。ヨセフにとっても例外ではなかった。彼は兄たちに憎まれ、そして奴隷としてエジプトに売られた。

それは忘れられない、赦せないことであった。しかし創世紀45章を開くと、ヨセフは変えることが出来ない辛い過去を新しい視点で捉えている。

彼はどうしても赦せない兄にたちにこう言った。神様があなたがたを救うために私をあなた方の先にエジプトに送ってくださったと。

ヨセフは神様の愛の観点から忘れられない辛い過去を解釈している。

その解釈はいのちに至る解釈であった。ヨセフは兄たちから見捨てられ、父から引き離された悲しい過去の中で、飢饉の中でもみんなが助かり、救われる道を見いだした。

自分の身に起ってしまった過去を変えたり、なかったことにすることは出来ない。しかしその過去の出来ごとを神様の愛の観点から新しく解釈することは出来る。辛いことでも、悲しいことでも、イエス様の十字架を通ると、そこにはいのちにいたる道が見えて来る。

小さい時、母は私を見捨てて、行ってしまった。

私は自己憐憫に陥った。そしてとても消極的な人間となってしまった。しかし自分が罪人があることを認め、悔い改めた時、神様の愛が心に溢れるほど注がれた。それから私の過去を十字架の前にもって行き、そして神様の愛の観点から人々に接っする人間として変えられていく。

すべての悲しみ、辛いことには道がある。イエス様の十字架を通っていく過去には、自分の救いに至る道がある。家族の救い、仲間の救いにいたる道がある。

自分たちの辛い過去、悲しい過去を十字架の愛で越えて新しい家族、新しい社会をつくっていく者になりたい。