祈りの部屋
能力より従順
先週ある先生を通して主が自分に語ってくださった。
信仰というのは神様のみことばを実行することである。ナアマン将軍は神様を信じていなかった。エリシャのことばを聞いて最初は怒った。
しかし彼はエリシャのことば通りにヨルダン川に体を七回入れて見た。おどろくばかりの癒しのことが起った(U列王記5:14)。
ルカ5章のペテロもイエス様のことば通りにやって見た。そしてその日、自分にはまったく出来なかったことが出来た。
神様は私が何かをうまくやることではなく、神様のみことばを毎日聞き従うことを願っておられる。私か聞き従うと神様がうまくやってくださる。神様のみわざが現れる。神様の働きに一番邪魔するのが自分の思いである。実のところ、みことばの約束はなかなか信じがたいものがある。ナアマンもペテロもみことばを半信半疑した。しかし彼らはみことば通りにやって見た。
ある姉の証しが思い起こされる。信じて見ることにしたら信じれたという。最初から堅い確信をもつことはまれである。主のみことばを聞いて、それを毎日思い巡らし、実行すると主の大いなるみわざが壊れやすい土の器である私たちを通して現れる。
11月の刈り入れる時期にみことばを聞いて聞き従うことにより、教会と家族の内に主のみわざを拝見したい。パウロの告白が思い起こされる。
私が多く働きましたが、実はそれは私ではなく、私とともにある神様の恵みです(Tコリント15:10)。
私たちも主のみことばを聞き従い、主のみわざを見て神様の恵みを告白したいものである。
鄭 智文