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1.私は聖書を神様のみことばとして信じて生活しています。
私は大学校1年(韓国の慶北大学校)の時、初めて人生が偶然から始まり、偶然に終わることに不安を感じ、
近所の教会を訪ねました。
聖書の一番最初に出てくる”初めに神が天と地を創造した”というみことばにより、安心感が与えられました。
自分の人生は偶然に始まって運悪く終わるのではなく神様のご計画の中に始まり、
また目的地にまで安全に運ばれ、ゴールインするのだと分かった時、安らぎを覚えました。
それから毎日聖書を読むことになり、祈るようになりました。
聖書に初めて触れてから25年経った今、ハッキリ言えることは、神様は信頼に値する真実な方であることです。
聖書は完全で、たましいを生き返らせ、聖書は確かで、わきまえのない者を賢くします。
聖書は正しくて、人の心を喜ばせ、聖書は清くて、人の目を明るくします。(詩篇19:7,8)
2.私は希望は失望に終わることはないと信じて生活しています。
私は自分を見ても分かりますが、人は、なかなか変わらないことを知っています。
私は日本に来てから13年目を迎えますが、つらいことを通して分かったことは自分は頑固であることでした。
頑固であるがゆえに同じ失敗をたくさん繰り返しました。
しかし、自分に失望したり、失望させたりしますが、しかしイエス様に希望を置いて
七転び八起きのスピリットで希望を語り続けることができました。
たとえ努力した結果が何年経っても見えなくても、さじを投げることはしないことにしています。
なぜならば神様に希望を置く者は恥を見ることはないことを知っているからです(ローマ5:5)。
私は神様に期待しながら相手ではなく、自分が変わることに焦点を合わせながら幸せな日々を送っています。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)
3.私は聖霊の導きを信じて生活しています。
1987年のある日、私は聖書のヨナという本を読みながら、、中高生との学びを準備していました。
ヨナは神様にアッシリアの首都であったニネベに行きなさいと言われましたが彼は行きたくなかった
ので反対方向のタルシス行きの船に乗ってしまいます。
私はヨナの姿を思いめぐらしていた時、自分の姿が見えてきました。宣教師としていくべきところは
日本ではないかと思い知らされました。その後一年経たない内に聖霊なる神様が確信を与えてくださったので
日本に来るようになりました。聖書を読み、祈る時、聖霊様が自分の姿や行くべき道を教えて下さいます。
聖霊様は素晴らしい助言者です。気がつかなかったことや忘れていた大切なことを思い起こしてくださいます。
「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。
御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに
示すからです。」(ヨハネ16:13)
4.私は自分が父親として父親が変われば日本の社会が変わることを信じています。
私は父親の存在が薄い家庭で育ちました。子供にとって父親は神様の存在を現す役割をします。
父親が子育てにあまり関わらなかったことが大きな原因となって自分は父親に愛される価値がないと
思い込むようになったようです。それで再び拒否されることを恐れてノーと言えない人間となっていたことを
40歳過ぎてから分かりました。
私はノーと言えない優しそうに見えるけど実はつめたい人間でした。
それが夫婦関係にも影響を与えてきました。
多くの人が父の存在が薄い家庭で育ち、いつの間にか親になっています。父の存在が薄ければ薄いほど
子供は自分の価値を外面的(快楽、出世)なところで探し求める強い傾向があります。
私は父親がその役割を正しくなすことができれば社会は変わることを信じています。
そして教会も全世代が共に聖書の教えを分かち合っています。
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